祖師谷軽便,そしてあの頃~3

 レイアウト製作のイメージの源泉が日本硫黄沼尻鉄道だったことは記事中にも触れてありますが,それをよく表している一つがコンクリート製のこの水タンク。(↓クリックで拡大/撮影:橋本真/禁無断転載)
画像
 ハシゴは真鍮プレス抜きのパーツで,今ではお目にかかることはない“いにしえ”の製品ですが,知る人にとっては懐かしさと,それでもあることのありがたみを感じた“あの日々”を思い出すのではないでしょうか。

 当時とて人形がなかったわけじゃありませんが,ヴァルヴ・ハンドルを回す人形は自作です。
 今のように様々な形態の人形をチョイスできるようになるとは誰も考えていなかった時代ですから,それは必然と云えばそうなんですが,何かの動作を表現するような形態のものを自作してでも使おうというレイアウトは,そうはありませんでした。ジョン・アレンの巧みな人形の使い方を見知っていてもです。
 その意味でもエポックメイクなレイアウトだったと書くのは褒めすぎでしょうか?

 ところで,顔まで作らない人形とともに,ヴァルヴ・ハンドルは真鍮線の先を「の」の字型に曲げただけの極めてシンプルな作りです。それでも見る者を惹きつけ,自分でもやってみたいと思わせる訴求力があったのは確かです。

 この写真も初めて見る方がほとんどでしょう。記事ではこの位置に水タンクはなく,あったのはコチラでした。(↓クリックで拡大/撮影:橋本真/禁無断転載)
画像
 撤去された跡には小屋が建つのですが,それはまたの機会にお目にかけます。

 初回に,交博の運転会をきっかけにナローだけのクラブができたと書きました。
 それは運転会で出会ったナローファンとの話から生まれるに至ったのですが,クラブ結成の呼びかけは連載終了のほぼ半年後,1967年9月号(№231)のTMSの読者投稿欄に小さく載りました。(左/↓クリックで拡大)
画像
 その4ヵ月後の№235に右のようなクラブ結成の報告が出ました。
 軽便鉄道同好会とは何ともストレートな名前ですが,今となっては少々古めかしさを感じますね。確か後に作られた会員名簿では同好“會”となっていた記憶がありますが,この名簿,探しまくっているんですがまだ出てきません…。
 チャーターメンバーは14人。さてこの人数,当時として多いと思うか少ないと思うか…。

 この同好会の話も,ウケようがウケまいが追々書くつもりです。マ,趣味の営みのささやかな記録となればいいので…。

Taddie

この記事へのコメント

Junior
2010年04月18日 20:14
当時は首都圏でもHOスケールの人形は売ってなかったんでしょうか?
売ってたとしても、レイアウトの情景に合った人形を敢えて作られたんでしょうね。
Taddie
2010年04月20日 12:13
人形はあったと思いますが,HOスケールのとなると輸入品を含めそうは沢山なかったのと,形態のヴァリエイションに乏しく安くなかったのもあるでしょうね。
あったとしても買わなかったと思います。

この記事へのトラックバック