祖師谷軽便,そしてあの頃~7

 このスレッドの3回目で触れたコンクリート製水タンクですが,木橋の前に移設された時代の写真がTMSに出ているのがありました。すっかり失念していましたけど,レイアウトルームの片付けを兼ねた資料探しをしていたら,233号(1967年11月)に橋本さんが書かれた「小型水槽を作る」という記事に写真が1枚出ているのを発見しました。この写真もいただいてあったのでお目にかけます。(↓クリックで拡大/撮影:橋本真/禁無断転載)
画像
 当時の記事は全部切取ってフィルしてあるのですが(それが見つからなくて困ってるけど),何故かスクラップせずにいた一冊があったのです。1.5ページのこの記事はペン画と上の写真,組立図のほかに沼尻の水槽2種の実物写真があり,モデルは会津樋ノ口にあったのがプロトタイプとあります。

 この号には,今では「軽便探訪」の著者として知られる新井清彦さんが自作した「草軽のL電と貨車」もあり,また「さんご模型店」(珊瑚ではなくひらがな表記の時代!)の広告には以下のような文言が見えます。

 ナローファン待望のエッチング板 各1枚300円
 日本硫黄沼尻鉄道 ・C型ディーゼル機関車・オープンエンドボギー客車・2軸ガソリンカー


 それとエッチング板を組んだDC12のサンプル写真も出てます。見た感じではつぼみのφ8.5動輪(当時はまだスポークのはなくプレート)にも見えますが,はっきりは判りません。ちなみに,縮尺には触れていませんが,これは1/80のエッチング板でした。
 その「つぼみ堂模型店」の広告には「木曽森林鉄道B1リアータンク B型客車,C型客車,運材車」の文言と写真が出ていますが,これはナロー(10.5ミリ)ヴァージョンではなく16.5ミリのですね。ナロー・ヴァージョンにつては何も書いてないので,まだ出ていないのかもしれません。となると,さんごのDC12の動輪は別物か,改軌したものということになるでしょうか。

 この号が出た後くらいにT君と祖師谷軽便を訪問したお話をするつもりでしたが,それはまた次にということにして,このあとは同好会の話を少々して今回はオヒラキにします。

 3回目にちょっと書いた同好会の会員名簿もようやく出てきました。
 1968年4月現在のもので会員数は20名,うち16名が首都圏在住(1人だけ埼玉県で残りは東京)です。年齢的には15歳から50代までですが,主体は10代(11名)と20代(5名)と若い人で,如何にあの記事が若い人にウケたかが判ります。16番を併用している人が15名いるのは,これ以前から鉄道模型をやっていた方がそれだけいるということですね。
 4人の方を除く16人が鉄道名を持ち,うち10人が社紋を制定しています。そういうところに拘るのも何となくナローゲージャーっぽいと云ってはうがち過ぎでしょうか。

 ゲージでは,やはり記事の影響が大きかったと見えてHOn30(1/80・9ミリも含め)が18名いて,10.5ミリが,9ミリとダブっている人も含めて7名,そしてOn30併用という人が1人だけいます。
 レイアウトは,建設中を入れて11名が所有しており,建設予定を示していない人が3名ですから,17名はレイアウトを志向しているわけで,もはやナローゲージがレイアウトとイコールになりつつあると云えますね。やはり祖師谷軽便のもたらしたものは大きかったと,あらためて思います。

 同好会のメンバーや作品の話は,また折を見て書くことにして,今回は未発表の建設途中の祖師谷軽便の写真をお目にかけてオヒラキといたします。(↓クリックで拡大/撮影:橋本真/禁無断転載)
画像

Taddie

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック