祖師谷軽便,そしてあの頃~13

 このところソニーマイクロトレーン(トレインじゃないんですな)の話が「うかい」さんのツイッターで採り上げられてますが,ちょっとだけそれに関連したことを思い出したので,久々にこのタイトルで書いておくことにしました。

 あれは祖師谷軽便訪問の前でしたから,1967年の晩夏か初秋の頃。
 T君と模型店巡りをしていた或る日,何故か普段は行かぬ神田錦町の科学教材社に足を向けたところ,薄暗い店内の左の壁際のショウケースに何かを発見してT君は興奮覚めやらぬ様子。
 ナロー物などあるわけはないので何かと思ったら,見たことのないNゲージの電機と客車があったんです。それも,明らかに日本型で電機はED75と思しきモノ,客車はスハ43っぽい。当時,日本型Nは関水金属(KATOとは誰も呼ばなかった時代です)だけしかやってなかったけど,こんなものを出すと云う広告は見たことがないし,まさか外国製ってことはないだろうし,「なんじゃこりゃ?」です。
 店の人に聞いたら「ソニーのなんですよ」と云うじゃありませんか。驚きました。あとでT君に聞いたら,確かにどこかの電気メーカーが9ミリゲージ(当時はそう呼んでました)をやると云う話をTMSで読んだけど,出たと云う話は聞いてないし,本当かなと云うのが正直なところだと…。
 見た感じ,T君が持っていた関水のEF70と出来が違うな(イマイチって意味ですよ)と思わせるものでしたが,出してもらって見たら,やっぱりちょっとディテールなんかは落ちるし,客車もなんだか短いんですね。カプラーも関水のホーンフック・タイプ(当時はX2Fと云ってました)とは違います。それと,今では珍しくはないリレイラーもありました。
 ところでこの電機,BBなのに,ちらっと裏を返して見たら何と1B1なんです。内側2軸を駆動して,前後の車輪は台車ごと首を振る構造。当時のTMSでは「ユーレイ」と並んで有名だった「ニセボギー」ってやつです。

 TMSを読み出してちょっとした頃に,二井林一晟さんの天賞堂製EB10をボギー化する記事があって,それが内側2軸を駆動,前後の車輪は台車ごと首を振る「改良版ニセボギー」の話だったんです。読んだ時そのアイディアに感心したんですが,この製品はまるでそのまんまの駆動法じゃないですか! 二井林さんの記事,調べてみたら1964年3月号(189号)でした。
 このアイディアの大元になったのは,こっちは見たことはありませんでしたが,1951年9月号(36号)の赤井哲朗さん「首の廻らなくなった臺車の話」だそうです。そのオリジナルのニセボギーは,台車は床板に固定,前後の車輪は台車枠の内側で1軸先台車のように心向棒で左右動する方式なので,だから台車はカーヴでも真直ぐのまま。二井林さんはそれが面白くないと,台車を振らせる手立てにしたワケです。ED75は内側の軸にウォームギアがあるので心向棒方式ではないからそこは違いますが,極似と云っても差し支えないでしょう。
 今となっては,もしかしたらED75を設計した人はこれを参考にしたのかとも思いたくなります。だって会社設立の半年前くらいに出た記事ですからね。ただその時は,二井林さんと同じことを考える人がいるんだな…くらいの印象でした。

 電気機関車と客車2輌,それにリレイラーは単品売りでそれぞれに値段がついていましたが,いくらだったかは憶えてません。
 T君は全部買いたかったようでしたが,手持ちが足りなかったので客車2輌とリレイラーを買って帰りました。彼は翌日か数日後かに,資金を調達して一人,買い残した電機をゲットすべく自転車を走らせたのですが,残念ながらその姿は消えていて手にすることはできませんでした。今なら明日にでも来るから取り置いてくれと云うところですが,しがない浪人生にはそんな才覚はなかったですね。後々まで悔やむことしきりでした。
 ところで,モノの本によればマイクロトレーンの車輌や線路,さてはリレイラーも,床下や裏側の見えない部分にSONYの刻印があると云うのですが,この時にそれを見た記憶がないんですよ。だからソニーのだと云われても半信半疑だったわけです。その本では削り取って世間に出たのもあると云うので,もしかしたらソッチだったのかも知れません。
 その後,これは線路を置く部分以外をグリーンで印刷した紙のマットと,半球型のデザインのパワーパックとのセットで出す筈だったと云うことがTMSで判ったんですが,科学教材社にはそのマットもパックも,それに線路もなかったので,最初からなかったのか,それは先に売れてしまったのかだったんでしょう。

 ところで,マイクロトレーンの本社(本店)は神田錦町の隣町,美土代町にあったと云うことなので,この模型が科学教材社にあったのと何か関係がありそうにも思えます。他の都内の模型店でも置いてるところがあったかどうか知らないですけど,近場の教材社に持込んだ“放出品”だったと考えるのは,あながち穿った見方と云えないような気もしますが,はたして真実は…?

 さて,祖師谷軽便訪問の日にT君はその客車とリレイラーも持っていきました。このタイトルの10回目の上から3枚目の写真にリレイラーが写ってますが,その部分を拡大してお目にかけます。ボケボケで申し訳ない。(↓クリックで拡大)
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 これは橋本さんも見たことがないと云うことで,お宅を辞する時に,じゃあ近所にあるTMS編集部に持っていって見てもらおうと云うことになり,橋本さんに案内されて編集部を訪ねました。
 奥から出てきたスタッフの方は客車とリレイラーを一目見るなり,あっさりと「ソニーのだね」と答えたのです。科学教材社で買ったとT君が云うと,「ホゥ…。一般には発売されなかったものだよ,よく出てたねェ」と云いましたが,それ以上の話は聞けませんでした。それでお礼を述べて帰ることにし,その途中で「今のは誰だったんですか」と橋本さんに聞いたら,「アア,赤井哲朗さんさ」!!
 ナローゲージャーにとっては神様みたいな人と思っている“あの”赤井さんだったんだ! ちゃんと顔を見ておけばよかった,一言二言でも話をすればよかったと悔やむ気持ち,ナローゲージャーなら判っていただけますよね。そんなこともあって,この日は祖師谷軽便とともに印象深い一日となったのです。
 それを忘れていたわけではないんですが,「うかい」さんの刺激のお蔭で,特段の話じゃないですけど記録しておいた方がいいかと云うことで,こうなった次第です。

 最後に,このスレッドの2回目のコメントに書いた,TMSの表紙を飾ったもう1枚の祖師谷軽便をお目にかけます。(↓クリックで拡大)
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 1967年4月号(226号)の表紙ですから,記事の連載が終って2月後でした。
 これは特集シリーズには再録されなかったので,「レイアウトモデリング」でしか祖師谷軽便をご存じない方には初めての筈。リヴァース・ループにあった小さな停留所「砧(きぬた)」が舞台です。
 そう云えば,世田谷区にはそれまで足を踏み入れたことがなかったこともあって,この砧と云う字と読み方に出会ったのも橋本さんの記事が最初。文字一字ではありますけど,以来,忘れることがないのはこの記事のお蔭です。

Taddie

この記事へのコメント

Cedar
2011年06月18日 18:01
このお話、興味深く読みました。このくだり>神田錦町の科学教材社に足を向けたところ,薄暗い店内の左の壁際のショウケースに~
そうそう、そうですよ。まったく同じ場所で同じものを見た記憶が鮮明にあります。
ED75が張り上げ屋根でなくグレーの屋根が先頭まで回りこんでいたことすら覚えていますから~
後であれば幻のソニーマイクロトレインだったんだと気ついて感慨にふけったものでした。
Taddie
2011年06月19日 02:40
Cedarさん,
そうだったんですか! もしその時Cedarさんが買っていたらT君は買えなかったし,この記事もありえなかった…。
ご覧になったのは67年頃でしたか? もっと前だとすると,随分と棚の上で眠っていたのが突然2人に,しかも日をおかずに買われたと云う何とも不思議な話になりますね。
屋根の部分を鮮明に覚えていると云うのは,よほどその部分の印象が強かったんでしょうが,同じ“幻”を見ていたなんて,ちょっとしたミステリィゾーンみたいですねェ。
貴重なお話,ありがとうございます。
Junior
2011年06月20日 01:09
件のED75てのは、車体の素材は何だったんですか?

いえ、科学教材社で見たんじゃないんですが、おぼろげな記憶に薄い金属車体で、艶ありの甘ーいローズ色でグレーの屋根色が前まで回りこんだED75の模型をどこかで見たことがあるんですよ。
いや、後年雑誌に紹介された写真じゃなくて・・・
もし車体がプラスティックで肉厚のものなら、色々な記憶がゴッチャになってる可能性も。
Taddie
2011年06月20日 03:01
車体は真鍮ですね。細かくは憶えてませんが,エッチングのプレス加工じゃないかと思います。
Juniorが見たのも間違いなくソニーのですよ。
神戸・大阪近辺の模型屋だったか,それとも誰かが持っているのを見たか,そこの記憶が蘇るといいですね。
いずれにしても,市販品ではないのにそれなりに出回っていたってことみたいですね。

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